息をすること

 深く息を吸って、ゆっくりと吐いて。また深く息を吸って、またゆっくりと吐いて。自分を含めた誰かを落ち着かせたいときに深い呼吸を促すことがある種の慣習になったのは、いつの頃からなのだろう。息が浅くなることは苦痛、不安のしるしであるし、息が深くなることは平静、平安のしるしである。人間にとって息をすることはあまりにも当たり前でことさら注意を向けないものの一つであるとは思うが、風邪をひいたときや心なしか息苦しいとき、無自覚に息をすることができていた尊さに思い至る人も多いだろう。

 考えてみるとさまざまな動植物に共通する「呼吸」という生理的で往還的な動作が、種を問わずその身体の内外を行き来する「息」という見えない概念へと抽象化されたとき、どこか精神的な意味合いを帯びたのかもしれない。身近なところで言えば気息、息災、消息、息吹など、ある対象が息をしているということはその対象になんらかの生命活動が感じられるということとほぼ同義であろう。

 この「息をする」ということが生命活動と同義であるものとして人間の意識にのぼったのは、おそらくは呼吸という無自覚に自動的に行われていた営みが失せたときに生命が消えていくことを知った、その切ない瞬間のことであったろう。そのとき人間は今しがた呼吸をしなくなった身体に触れながら、口元に耳を押し当てたのかもしれない、いつもなら内側から暖かな風が出てくる場所に手のひらを当ててみたのかもしれない。

 「息」という生物の内側から吹く風が身近な生物すべてに共通する生命活動の証左であり、それが失われるときその生命もまた消え失せてしまうのだと気づいたとき、古代の人々にとって息はいわば個体の原理、魂のようなものと思われたことだろう。しかしその身体を撫でてゆく風と空の上で渦巻く大気のありようとが呼吸する息と同一視されたとき、それらは個体を超えて世界全体を行き来する生命の原理にすら思われたことだろう。かつてあの人が呼吸していた大気を、私も今呼吸しているのだというように。

 実際、息と風、大気と生命とを同一視する思想の傾向はさまざまな文化圏を超えてあまりある事例を提供してくれている。例えば古代ギリシア語で「気息」を意味していたpsychē、「大気」を意味していたpneuma、ラテン語で「息」を意味するspiritusやanimusはそれぞれ「魂」や生命の原理をも意味していたし、古代インドのサンスクリット語で「息」を意味していたprāṇa、古代中国で「呼吸」を意味していた氣も天と地の間を行き来する「風」として、世界を構成する生命の原理をも意味していた。

 また世界三大宗教それぞれの聖典において、土塊からできた人間に神が「息」を吹き込むことで人間は生命を得たと語られていることを思うと、息はただ自身の生命活動を維持するために往還されるものというのでなく、例えば人工呼吸の例にも明らかなように、他者の生命活動を維持するために他者の身体のなかに息を吹き込んだり、あるいは吹き込まれたりすることで生命をつなぐ役割を担うものでもあると考えられていたのだろう。

 この意味で私たちの呼吸している息、風、大気を意図的につくり出した超自然的で人格的な存在として構成された神もまた、人間と同様に「息をする」存在として捉えられていることは興味深い。古代の人々にとって人間が無自覚に呼吸していた大気は、他の生物たちだけでなく超自然的な存在もともに呼吸していたものなのだとすると、かつては皆がいわば同じ釜の飯を食べるかのようにその同じ大気のなかで暮らし、互いに息や風を介してその生気を循環させ合うような関係性を築いていたのではないかとすら思えてくる。

  *

 古代から人々は「息をする」というごく当たり前で身体的な営みを起点に、まさに洞察と想像との両翼を広げて自身を含めた世界に行き渡る風に乗り、想像の世界を通して形而上学的に「生命」とはなにか、さらにこれほどまでに世界の隅々にまでさまざまな生命が行き渡っているのはなぜかを問い尋ね、洞察していたように思われる。そしてそうした素朴ながら意義深い「息」への洞察と想像は、今もなお連綿と哲学で展開されている。

 現代の事例を見てみると、「病い」(illness)について哲学的に考察しているハヴィ・カレル(Havi Carel)は、私たちが普段「息をしている」(breathing)という経験の枠内で生きていることがかえって、「息が絶えていく」(breathlessness)という経験を単なる病理学的な症候としてではなく、生理的なもの、心理学的なもの、霊的なもの、文化的なものの繋ぎ目へと変貌させていると洞察している*1。

 確かに息はふつう無意識に生理的に行われている。しかし息を深く吐ききって肺のなかに少しも息がないようなとき、私たちは事実として死に対しすこし近いところに立つことになる。もう一度息を吹き返さない限り、その人は彼方へと旅立ってしまう。私たちが暗黙のうちに理解しているこの命の限界点としての息を見つめるとき、スポーツや武術、ヨーガなどでなされる呼吸法という文化的な模範は、命を事実として繋ぎ止め身体を活性化させていく生理的、心理的安堵感だけでなく、今ここで確実に、この身体は息を繰り返すことができているということを自覚する体験となる。

 息のこの特殊なあり方のためだろう、息をするということは人間が単に事実として生きていることを示す生理的なものとしてだけでなく、文字通り自然と人間の身体、それらが彩る文化的な世界のあいだを媒介するものとしても現れてくる。そのような不思議な存在である息をめぐる「呼吸の哲学」(respiratory philosophy)を構想している哲学者たちの一人であるペトリ・ベルントソン(Petri Berntson)は、「息をするということは一つの、私たちと世界のあいだの恒常的な関係性、恒常的な交換」*2なのではないかと考察している。

 人は大気を含む自然のただなかでそのさまざまな文化を築くために、常に息をしながら、息の仕方を整えることで周囲の世界により良く関わろうとしていく。眠りを終えてする欠伸から、日々の仕事や家事の前の一息、家族や同僚と阿吽の呼吸でルーティーンをこなし、息の合わないところのリズムを整えつつも、安堵のため息から不安のため息までさまざまな息を通じて日々を終えると、穏やかな寝入りの呼吸に向かっていく。それは人が生まれた時の最初の呼吸から、その最期の呼吸まで続く大気の交換のプロセスなのであり、この大気の交換というひそやかな一点を梃子にして私たちは世界と関係を取り持ち続けている。

 このように大気と常に共にある人生の最中で、息が詰まるような関係性が特定の場所とであれ他者とであれ築かれてしまうこともある。誰かが自然と深く「息ができる」ということは、その人と息の合うものや人々が見えざる大気のように周囲に存在していることによる。深く息ができるその大気がすでに周囲にあるときにはそれと見定めることは困難だが、ここではどうも息がしづらい、息が詰まりそうだということを、私たちを活かしている身体は不思議と察知して、自分にとって息のしやすい大気=雰囲気(atmosphere)の感じられる場所へ移動していく傾向があるようだ。

 ともすると私たちは自由の象徴とすら言えそうな風をしばしば屋内に閉じ込め、その流れを悪くし、果ては排他的な空気を作り出してしまう。そんな状況のなかでも人間の身体は新しい風を心肺のなかに取り入れ、新しい息を大気の中に返していくことを自然と繰り返し行ってくれている。私たち自身もまた身体にならい、新鮮な出逢いを自らに取り入れ、新たな想像や想念をこの世界のなかに返していくような呼吸を模範とすべきなのではないだろうか。多様な人々の文化に息づく呼吸を取り入れ、いつも瑞々しさに満ち溢れている風はきっと、その人の帰属や属性にかかわりなく誰もが深く息のできる場所を生み出すだろうから。

*1 Carel , H. (2016). Phenomenology of Illness (English Edition) Kindle Edition, Oxford, UK: Oxford University Press, p.128.

*2 Bertson, P. (2018). Phenomenological ontology of breathing : the phenomenologico-ontological interpretation of the barbaric conviction of we breathe air and a new philosophical principle of Silence of Breath, Abyss of Air, JYU Dissertation, Jyväskylän yliopisto, p.12. Retrieved from http://urn.fi/URN:ISBN:978-951-39-7552-4 (2020年9月4日確認)

参考文献

Škof, L. and Berndtson, P. (Eds.). (2018). Atmospheres of Breathing (English Edition) Kindle Edition, SUNY Press.
Lewis. M. A. (2018). A Voice that is Merely Breath. The Philosopher, CVI(1). Retrieved from https://eprint.ncl.ac.uk/246320 (2020年9月4日確認)

【業績】学校法人軽井沢風越学園さまと探究カリキュラムを共同開発しました。

学校法人軽井沢風越学園さま(以下、風越学園)と、総合学習・プロジェクト学習を含む、探究カリキュラムを共同開発しました。

弊所は風越学園教員スタッフと協働で、⑴総合の各学校目標の構築、⑵(総合学習・プロジェクト学習を含む)探究カリキュラムづくりを促すシートの開発、⑶学習指導要領に合わせ、教科別に評価観点を整理し、学習活動の構想を促すシートの開発、⑷教員スタッフ2名の専門知・実践知を掘り下げ言語化するナラティブ探究を併せて行いました。

引き続き、教員の伴走コンサルティングも継続しています。

新型コロナによって複雑な状況下にはありますが、風越学園で始まっていくプロジェクトメイカーたちの学びが進展することを、楽しみにしています。

教える人として生き続けられる世界をつくる --クランディニン教授講演会感想記--

昨日、自分が修論の頃から使用している研究手法である「ナラティブ探究」の生みの親の一人、ジーン・D・クランディニン教授の講演会@学芸大に向かった。

かつて『教師教育』という雑誌で彼女の理論と実践研究を紹介した折に、この文面で間違いがないかなどメールのやり取りは少しさせていただいたのだけれど、面会は昨日が初めて!いやあ緊張したあ。

実際にお会いしてみると、「ああ、この人だからナラティブ探究を生み出せたんだなあ」と感じ入る方で。表情豊かに、でも静かに教師とその世界を優しく共感するベースを持ちながら、かつ理論的な背景による指摘の鋭さもあわせもちながら相対してきた人なんだなあと。一層、ナラティブ探究を用いてもっと深めていきたいと感じたのでした。

講演の内容は、当日ハイクオリティの通訳&資料の翻訳をされていた都留文科大講師の山辺さん(余談だけれど若手教育学者たちが本当にハイスペックで恐縮する)が正式に報告されることと思うので、徒然なるままに書き散らしている本ブログでは、いくつかの論点とそれに対する個人的な感想を。

自分なりに講演をワンセンテンスでまとめると、

「教師を職員として“就き続けさせる”(Retain)ための教員養成から、教師が一人の教える人としての人生を“生き続けられる”(Sustain)ための教師教育へ」

と言えるのではないかな、と思った。(このsustainという用語が講演のキータームであった。当日は離職がイシューとなっていたこともあり、“踏み止まる”という「皆」の意を得たりの名訳がなされていたのだが、本ブログでは文章の流れから“生き続けられる”という言葉を使った)

博士によると、若手新任教員の早期離職がカナダでもアメリカでもソーシャルイシューになっているのだという。先行研究でのイシューの観点をまとめると、(教員の離職によって)児童生徒のアチーブメントの不安定化、離職した教員を補充する教員の再研修に費やされる経済的コストの増加といった課題が挙げられているのだという。

アメリカの研究では、教科内容知識(pedagogical content knowledge)をきちんと養成課程で教えていると、離職率が減少するという結果もあったらしいが、博士たちがカナダで調査したところ、教科内容知識は離職率の説明要因として不十分であるとの結果が出たとのこと。

実際、このイシューは、知人友人から見聞したリアルなエピソードや、自分自身も実践者になって感じた経験を踏まえてもとっても複雑だ。離職をシステム的な問題と捉えると制度的な解決策(メンター制度の充実など)を与えて事足れりとしてしまうし、

一方個人的な心理的特性の問題と捉えると、バーンアウト傾向のある教員をレジリエンス(耐性)の“欠落”(deficit)した教員として見なす危うい解決策を認めるようになってしまう。つまりは、イシューに対して採用するその人の視点(前提)が、複雑なイシューの問題点とその解決策を一面的に規定してしまうのである。

では、どうしたら? まずは、若手教員にいま一体何が起きているのかを知ることが第一だ。

そこで博士たちは、55名の教職2〜3年目の若手教員たちへのインタビュー調査と、6名の離職経験のある教員へのナラティブ探究を行ったそうだ。質的研究計画マニアとしてはこの研究設計に痺れる。

その調査結果を一言でまとめるなら、自分の教員としての人生と、一人の人間としての人生との間に溝が生まれ、その間の葛藤を対処できなくなっていったときに、離職を選んでしまうということだ。

たとえば、日々学校外の場所で送られる、一人の人間としての尊厳ある人生が、学校の“多忙さ”によって全て吹き飛ばされてしまったようなとき、自分の人生が教育に全て持ってかれてしまっているこの日々は“いつまで”続くのだろうかと「離職」が脳裏をよぎる。

養成課程でえた教科内容知識のみでは対処できない、良かれと思って多く与えられるOJTの研修や、新任たればこそ進んで引き受けなければと感じる分掌業務など、目の前のリアルな学校文化と自分の(教員)人生のあり方を巡って調整・交渉していくスキルが求められる。だが、そうしたスキルが必要になるということを養成課程では教わらないし、実際カリキュラムの中にもない。

この辺り、日本の教員文化は「教師」=「プライベートも全て仕事に注ぎ込むべき職業」というイメージや認識がまだまだ根強く残っていることを考えると、このイシューが「問題提起」として受け取られるかどうか不安もある(講演会でもその不安は共有されていた)。

近年解明が進んでいるが、以下に紹介する教育社会学者の舞田先生のブログにもあるように、日本の教員は世界的にみて多忙にすぎるし、「新任はなんでもやるべき」といった文化があるからか、一層課外活動などの指導を任され、多忙へと向かってしまう傾向があるように思う。(ちなみに博士によると、カナダにもこの「新任はなんでもやるべき」文化があるらしい)

「教員の病気離職率」(2017/9/24)

「中学校教員の年齢層別の課外活動指導時間」(2016/2/23)

「教員の職業満足度の国際比較」(2014/12/16)

「病(辞)める教員」(2013/11/17)

これらの調査の結果から、博士たちが得た考察を自分なりにワンセンテンスでまとめると、

「一人の教員としての教職人生を支えるストーリーと、一人の人間としての生き方を支えるストーリーとを織り合わせ、教える人としての人生を“生き続けられる”教師教育が必要だ」

ということだと思う。これは単純に、専門的な教師の世界に、個人的な世界観を持ち込むべきというような話ではない。自分自身がこういう人間になりたい、という個人的なアイデンティティに基づいて、こういう教師になりたいという教員アイデンティティが紡がれるということなのだ。

どんなに優れたベテラン教員であったとしても、教員人生で身につけた専門的な知識は、学校の内外で体験してきた、教員になる前から培ってきた、本人の個性的の世界観・人生観に基づいて生み出されているのである(この主張は、俺自身が修士時代に、図工専科のベテラン教員の皆さんへのナラティブ探究で身にしみた結論そのものだったので、激しく同意した)。

専門用語でいうなら、こうした個人的なアイデンティティのストーリー(個性的な知識の風景 personal knowledge landscape)と、教員人生を支えていく教師としてのアイデンティティのストーリー(専門的な知識の風景 professional knowledge landscape)とを、分離させるのでもなく、どちらかを優先させる(べき)という在り方なのでもなく、ともに一人の人間の中で相補的に織り合わされていけるような教師教育を実践していくことが大事なのだ。

では、こうした教師教育はどのようにしてなされるのだろうか。博士は、学生や教師とともに「自伝的なナラティブ探究」(autobiographical narrative inquiry)を行い、自分は何者なのか、なぜ教師になりたい/教師を選んだのか、どのような体験が自分の教師としての軸を創り出したのかについて、協働的に探究しているという。こう言うと仰々しく感じるかもしれないが、以下に述べるようなワークショップ形式で探究されているそうだ。

たとえば自分の人生を時系列的にタイムラインを描いて整理したり、ある日の写真を持ち寄ってもらい、その写真の前後関係や写真に写っている人たちとの関係性を語りながら自分の人生について振り返ったり、普段身につけているものの背景を探究することで自分のアイデンティティを探究したりなど。こうしたさまざまなアプローチを繰り返し行うことで探究していく教師教育実践の事例を報告してくださった。

改めて、ナラティブ探究の世界観とアプローチには、激しく頷かざるを得なかった。話を聴きながら、何度共感したかしれない。講演後の質疑応答の際に、僭越ながら2度も質問をさせていただいたのだが、それぞれとっても参考になった。

長文になってしまったが、こうした教師教育を実践していける場を、微力ながら創造していきたい。

そう、強く思った。

重松先生の授業分析の思想

授業分析は、現代ではあまり注目されていない研究手法だとは思う。けれど実際の授業研究の手法としてまだまだ可能性がある手法だと感じている。特に、重松先生のそれは自分にとっては、普段の授業をみるときのベースになっている。

まとまったかたちで、いつか重松先生の授業分析の思想を紹介したいのだが、まずはこのまえがきの文章を紹介したい。

「わたくしの最も嫌いなことは、現場の教師が軽視されることである。社会の人からはもちろん、教師の仲間からでも、教師その人からでも、教師を侮蔑した言葉を聞くと、心の中で煮えくりかえるものを感ずる。
「先生と言われるほどの馬鹿でなし」という表現の裏にある、教師侮蔑の実態と戦おうと思ってからもう三十年あまり経っている。それだけにまた逆に、どういう点で、教師が軽視されるか、なぜ尊敬と軽蔑、力と無力とが交錯してくるか、ということについて、思い患ってきた。
わたくしにとって授業分析は、その戦いの一局面である。授業を、日々新たな営みとして、教師自身をみがき、その若さを永遠に保たせるものにするのに、この本が役立つことを望んでいる。
記録の中にあらわれてくる先生方や子どもさんたちは、実在の人である。わたくしの非力の故にその姿をとらえようとして誤っていることが多くありはしないかと、恐れている。非礼の点について御寛恕を乞うと共に、生き生きとした動きによって、わたくしの眼を開いてくれた子どもさんたちに、感謝する」(重松鷹泰『授業分析の方法』まえがき)

このまえがきを読むと、姿勢を正される思いがすると同時に、先生が軽視される状況は60年近く経ってもあまり変化していないかもしれないと感じてしまう。例えば最近、「学校のなかにしかいなかった先生より、学校外から転職した先生の方が、発想が豊かですよね」云々の話を、特に教育外の方からよく聴く機会があった。

確かに傾向としてあるかもしれない。でもそれは、ある仕事場のなかにある、他の社会にはないルールのなかで考えることがクセになるということであって、どの社会人も同じ傾向なのじゃないかしらと思う。外部の視点が内部の視点より良い視界も持ちうるということでしかない。

事実、新卒から教師をやっているひとで、ものすごい発想で学校にアートをゲリラ的に仕掛けちゃう先生もいるし、学校に自分でカリキュラムを作り上げちゃう先生もいるし、

企業連携どころか、地域の根深い差別を無くしてしまう働きかけを、子どもたちが生み出していく授業を創り出した先生すら、日本にはいたのだ。

先生の専門性は、教え方がうまい、新しい発想ができるといったことではない。先生が目ざしているところはそんなレベルではない。

こういう、教師の意義ある実践の歴史が知られていない背景には、教育実践史がまだまだ人口に膾炙していないことによるのかな、とおもう。

美術に美術史があり、地域に地域史があるように、教育実践には教育実践史があるのである。比喩的にいえば、その歴史にはダヴィンチのような先生もいれば、キング牧師のような先生もいる。

そしてその先生たちの面目躍如たる歴史の場面は、やはり授業なのである。その授業のもつ力を見えるようにし、教師自身がそれを活かせるようにしようと考えるこの視点こそ、授業分析の思想の本質に他ならない

教育は再現可能か?

いろんなところで想定されているこの再現性の神話と科学とを区別して論じないと、おかしなことになるとひしひし感じている。結論から言えば、教育は方法と効果の因果関係を想定するなら、再現可能に「見える」。

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↑厳密には、「A+B=C」のような、構造式を想定するならば。
AにBを投入すれば、Cになる、というわけだ。

事実、応用行動主義的な実践は再現性が高いと思われる。何を強化子にするか、そしてそれを強化する目的が教育的に妥当かなどの問いから外れていなければ、この類の実践は有益だ。例えばいわゆる「褒めちぎる」「プラスな言葉を使い続ける」教え方は、そうした強化の論理を徹底する実践だと解釈できる。そうした教え方によって、どの先生でも一定程度、児童生徒をある行動から別の行動へと強化することはできるようにはなるかもしれない。

だから、再現可能性を高めようと努めることは、教育にも可能だということはできる。

けれど、そもそもの教育という営みを考えるに、<いかに><いつ><どこで>実践するかという点を抜きにしては語れない。その<いかに>は、<自信満々だったその子が初めてこの単元で悩み始めた時にいかに振る舞うか>、<教室をウロウロとしてしまうその子に厳しく叱りつけてしまった翌日、我慢していながらも少しずつウロウロし始めたその子にいかに振る舞うか>といった、とっても個別的具体的かつ一回きりの状況と不可分な<いかに>である。

その意味で、その状況と不可分な一回きりの実践は、決して再現可能ではない。再現性を求めている人にとっては、おそらくそうした主観的でプライベートにすぎる実践はもともとお呼びでないかもしれない。しかし、現場にいる中で一番関心が高いのは、こちらの再現不可能な、一回きりの今日の実践をいかに戦略的に構想し、即興的に実践していくかだ

こんなことを考えたのは、最近EdTech関連で再現性についての主張(再現性が高くなければ投資することはできない)を見聞したのと、アイズナーの教育的鑑識眼についての論文の翻訳をコツコツと始めたことによるところが大きい。後者の一文を、以下に引用しておこう。アイズナーが教育的鑑定と教育的批評を提案する論文の序。

私がこれから提案することは、科学的なパラダイムでなく、芸術的なパラダイムから始まっている。私は教育の改善というものが、大陸の至るところにある教室に対して、あるいは特殊な個性的特徴を持つ個人に対して、普遍的に応用できるような科学的な方法を発見しようとする試みの結果からのみ生じているわけではなく、むしろ教師やそのほかの人々を、自分のできることを見つめ、考える能力を成長させるための教育へと参加させることによって生じているという想定から出発している。学校で生じている教育実践は、何が起きるかを予測し、ましてそこで起きることを制御することなど決してできない偶然に満ちているのであり、非日常的で複雑に絡まった事態として生じているのである。
(Elliot W. Eisner (1977) “ON THE USES OF EDUCATIONAL CONNOISSEURSHIP AND CRITICISM FOR EVALUATING CLASSROOM LIFE” Teachers College Record, 1977, 78(3): 345-358.)

学校生活に親しんでいる人や、学校生活を舞台にしたものに親しんでいる人は、学校の環境を「当たり前」で「日常的」だと思っているかもしれないが、

例えば部屋が同じサイズでかっちり区切られており、ひとりにひとつの机と椅子が割り当てられ、決まった時間に決まった内容を決まった程度こなすよう義務が与えられ、その成果を定期的に測量される場所に3年間毎日行ってきてほしいと言われたと考えてみてほしい。

そう、社会の暮らしにとって、学校は生育環境としても労働環境としてもとっても特殊な場なのである。更に言えば、教えている内容も実はかなり非日常的だ。

どう見ても太陽が地球の周りを回っているように見える「日々の暮らし」の中で、地球こそが太陽の周りを回っているのだと伝え、原子など実際に見たことのないにも関わらず、ものは原子からできていると“普通に”伝えるのだから。

そうした非日常な教室の世界で、日々の日常的な暮らしのような安心感を抱かせつつ、いかに非日常的に飛躍した世界を学習者に垣間見させ、浸らせ、血肉とさせるか。教師の仕事のすごさの一片でもわかってもらえたら幸甚である。

授業を見る前に、いい学校へ行こう

日本各地の面白く建設的な研究会を実践している学校を指導教授と見に行った体験が、今になると得難い財産だったなあと感じる。(当時はしぶしぶだったのだが笑)

常々言われていたことだが、授業を見る眼を養うためには、まずは何よりも「“いい学校”と言われる学校を見にいく」ことが大事だと思う。その他にも色々あるけれど、まずは。

いい学校を見に行く体験が、なぜ必要か?

自分なりの言葉で一言で言えば、「学校教育の可能性が実現されている現場を直に体験することで、自分の被教育経験から飛躍して、自分の学校観・教育観を拡げる」ために必要なのだ。

全入時代になったゆえか、教育学や教師を志す人の多くが自分の「被教育経験」に基づいて、「学校ってこんなところだよね」「学校ってこうあるべきですよね」「学校ってこんなもんでしょ」といった、自分なりの「学校観」を培っていることが多い(いわゆる「社会化」だ)。

Classroom2学校の教室と言えば↑、のように。

教育界隈で仕事をするとき、仕事のしやすさは結構、この学校観がしなやかであるかどうかってすごく大事だと思っている。

日本にも世界にも本当にいろんな独自のカリキュラムを構想している学校があるし、ひとつひとつの学校の中には(現れ方やステージは異なれど)いろんな「挑戦者たち」がいるのだが、

以下のような「ステレオタイプな学校観」を押し付けがちな人は、そのステレオタイプな学校観が自分の過去の被教育経験に由来していることにしばしば無自覚だ。

戦前から続く伝統校や、知る人ぞ知る地域のユニークな学校に行くと、「学校」ってこんなにユニークで興味深いカリキュラムが、こんなにも子どもにも社会にも開かれた形で実践可能なのか…!と目から鱗が落ちるし、そんな学校で挑戦を続けている人々による「いい授業」、授業の可能性そのものに挑戦している授業を見ると、身震いがする。

「すごい、こんな授業ができるんだ!」「なるほど、ここでこの学びが起きるのか…!」そんな現場が目の前に繰り広げられるのであるから、それが公開/校内研究会であれ普段の授業であれ(なるべくなら普段の授業の方が本当に味わい深いのでオススメしたいが)、

そこで起きている現象を細かく観察し解釈し分析し、本時の授業の本質的・中核的な事態を直観して行くことで、自分の授業観・教育観・学習(者)観が変容して行くし、なにより、自分の被教育経験から飛躍して、「学校とはどのような場であるか」という自分自身の学校観が鍛え上げられて行くのが実感できる。

しかもそういう“いい学校”の研究授業や授業の検討会は、学習者の目線で学びのプロセスやその地図をマッピングしつつ、授業の中での学習者相互の関係性の深まりや関係性の深まりに基づく学びの深まりなどを把握して行くことに全力を傾けて行く。

そこで暗黙に共有されている態度をあえて言葉にするなら、以下のようになるだろう。

授業者がひとつの授業の中で起きている現象の全てを知ることは、そもそも不可能だ。でもだからこそ、観察者たちが授業内で起きていた現象を可能なかぎり持ち寄って、授業者や観察者たちが協働的に学習者の目線と教育者の目線、そして社会の視座から授業内の現象を意味付け価値づけることで、明日の授業への戦略・戦術構想へと繋げて行く

過去に有名附属校の公開研究会に行ったとき、意外に発表者の授業観・教育観を批判して、自分の授業観の宣伝をするのに終始する不毛な研究会が多くて驚いたが、本来的には上記の態度で臨むのが良いんじゃないかと個人的には思っている。

授業をよく見る目を、身体を培いたいと思う人は、まずはいい学校のいい授業、つまり素敵な先生と素敵な子どもたちの姿を見に行ってみることをオススメしたい。

きっと、自分の学校観がガラガラと崩れて、憧れて信望して、あんなのあそこでしかできないと諦めると言う一連の体験を経て、その末に「いや、エッセンスだけなら自分のところでもできるんじゃないか」と模索するところから、自分オリジナルの授業観・学校観が見えてくるはずだ。

きっと授業を見る身体が、変わってくる。

創造的な思考について必要なことは、幼稚園で学ぶ

※以下は、以前のブログに書いていた記事の転載です。

いま保育士科の学生さんに教えているのですが、幼稚園や保育園ならではの専門性として、遊びのなかの学びに気づくことができるか、という視点が挙げられると思います。

けれどそれはなにも先生に限ったことではなく、保護者や社会人にとっても必要な視点なのではないかなと、個人的には思っています。

たとえば子どもを育てていくとき、子どもが遊びのなかで創造性を発揮しているかを知ることができると、「こら!また遊んでばっかり!ちゃんと勉強しなさい!」と叱りつけるのではなく、

ああ、この子はこんなにも集中して、創造的にものごとを進めている。我が子ながらやるじゃん!」と思えるようになれるのじゃないか。その方が素敵なんじゃないかと思うからです。

***

とはいえ、「なぜ幼稚園で学ぶんだ?創造的な思考なら、その道のひとに尋ねたほうがよいのでは」と思うかもしれません。ですが、その道のひとが、「創造的思考について大事なことは、幼稚園で学んだんだよ」と仰っているとしたら?

たとえば、MITの学習科学の研究者であるレズニック(Resnik, M)は、「Kindergarten approach to learning」(学びへの幼稚園的アプローチ)を推奨しています。

さらに彼は、このアプローチについて、2007年の創造性と認知に関するカンファレンスでこんなタイトルの論考を発表しています。
All I Really Need to Know (About Creative Thinking) I Learned (By Studying How Children Learn) in Kindergarten 

直訳すると、「幼稚園で(子どもたちがいかに学ぶかを研究することによって)私が学んだ、(創造的な思考にとって)ほんとうに必要なすべてのこと」となるでしょうか。

さて、レズニックはこの論考で、幼稚園での「遊び」にこそ創造的な思考が発揮されていることを、「想像する→創る→遊ぶ→共有する→振り返る→そしてまた想像する」という【遊びのプロセス】を通して言い当てています。

確かに、私たちは「遊びたい!」と思ったとき、「何で遊ぼう、どんな風に遊ぼうかな、誰と遊ぼうかな」と想像を膨らませていきます。つまり、「何がしたいかを想像する」ことが、遊びの一番初めにある。

次に、私たちはすてきな遊びを思いついたら、「よしやろう!」と実際に遊んでみようとする。つまり、「アイデアに基づいてプロジェクトを創り出す」。

子どもたちは遊びたいプロジェクトを実現するために、じつにさまざまな仕事をしています。遊ぶために必要なものを集めたり、遊び道具を造ったり、遊ぶ場所を整えたり、友達を呼んだり、ルールを取り決めたり、先生と交渉したり…。ときには大人顔負けの意欲を見せてくれます。

こうしたさまざまな仕事を経て初めて、子どもたちは自分たちで「創り出したプロジェクトで遊ぶ」ことができます。

普段、遊びというとこの「創り出したプロジェクトで遊ぶ」フェーズのことを意味しているように思います。ここだけをみると、確かに子どもたちははしゃいだり喧嘩したりふざけあったりしているので、「まじめでない」ようにみられることが多いとおもいます。

けれど、こうした遊びを遊ぶ段階の前には、自分で何がしたいかを想像し、その思いついたアイデアを実行に移す主体性が発揮されている必要があるということが、レズニックの言い当てによってわかってくるのではないかな、と思います。

さらにいえば、こうした遊びのうちで、「他の人と一緒に、創り出したものを共有する」ことも生じてきます。たとえば遊んでいるうちに新しいアイデアが出てきて、ふいに試してみる子どもが出てくる。それに触発されて、他の子も「それ面白そう!」とアイデアが共有され、ともに遊ぶ関係が生まれてきます。

ただ、レズニックもいうように、遊んだ後に「これまでの体験を振り返る」機会を設けることが重要だとレズニックはいいます。遊びのなかで、何を学んだのかを子ども自身の力で気づくことが大事ということですね。

この論考のなかでは、レズニックが実践している工学的なおもちゃ作りのワークショップの例がとりあげられているのですが、それに参加した12歳の子が、このワークショップの「コツ(tip)」をこんな風に振り返っていたそうです。

Start simple(シンプルに始めよう)
Work on things that you like(好きなものでやってみよう)
If you have no clue what to do, fiddle around (もし何をするかわからなかったら、いじくってみよう)
Don’t be afraid to experiment(実験することを恐れてはいけない)
Find a friend to work with, share ideas!(友達をみつけて、アイデアをシェアしよう!)
It’s OK to copy stuff (to give you an idea)(きみにアイデアをくれるものを真似ても問題ない)
Keep your ideas in a sketch book(スケッチブックにアイデアを書きとめておこう)
Build, take apart, rebuild(つくって、はずして、またつくること)
Lots of things can go wrong, stick with it (たくさん失敗していい、やり続けよう)

この12歳の少年の「tip集」なかに、レズニックも認める通り、「創造性」にとって重要なアイデアが、いくつもあることがわかるかと思います。創造的にアイデアを生み出し、友達とシェアしながら、実験して確かめて、失敗も恐れず立ち向かっていくこと。

特に重要なことは、この気づきが教え込まれて生まれたものではなく、遊びを振り返って生まれたものである、ということです。子どもたちは遊びのなかで、実験的で創造的で、社会的な精神を培っていきます(詳細は割愛しますが、多くの研究がそのことを示しています)。

さて、いかがでしたでしょうか。遊びのなかに多くの気づき(学び)があることを、子どもたちは知っています。もし創造的な仕事を生み出したいと考えているなら、子どもたちから創造的な思考について学んでみるのも、一興かもしれません。

問いと、必然性

子どものための哲学について、国内外の実践事例を調べながら、うーん、と考えてしまう。

既成のワークや実践に対する子どもたちの感想を読むと、全員ではないが一定程度「答えのない問いを強いられることへの反感」を持たれている。その感情は他ならぬ自分がかつて感じたことでもあったから、改めてきちんと考えておかなければと思う。

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英語と演劇

今日は、ご縁でとある小学生男子たち(4年と6年)に英語の家庭教師をさせていただいた。ご縁で授業をさせていただけるのは、とてもうれしい。

今日は、「英語では、身近なものを何と言うのだろう」という「問い」をもとにアクティヴィティを行おうと思っていた。しかし、直前まで迷っていた。うーん、この問いをどんなアクティヴィティにしよう。

結局、「教師が楽しいのが一番だ」という指導教授の言葉を信じて、シアターエクササイズを交えつつ既存の英語学習のアクティヴィティを自分なりに修正し、上記の問いに適合させたものを作り上げた。これぞブリコラージュ。(そのプランを練っていた結果電車を乗り過ごしてしまったが。。)

結果としては、まずまずうまくいった方だとおもう。親御さんから、つまらない授業だと寝てしまう子だから不安だったけれど、凄く楽しんでやってくれていたからよかった、という言葉をいただけたのが嬉しかった。

具体的には、英語ということもあり、最初にEnglish nameをつけあった。体ほぐしをしてから、ボール&スナッチ。その後、Number 12(ほんとは21だけど)を行った。これを最初、日本語の数詞で数え、そのあと、英語で言い換えていった。

初学者にとって、11と12ってひとつの壁だし、13以降はもっと壁。数を楽しんでカウントできるアクティヴィティから、「基数」に親しんで欲しかった。子どもたちもこれはクラブでも遊べそうだと乗り気になってくれたのが密かに嬉しかった。

休憩を挟んで、ブラインドガイド。そのあと、タッチorポイントを自分なりに修正して(同時挿し可能にし、andを学べるようにして)行った。やりながら思ったことは、演劇的なアプローチは固有知識を身体を通して学べることはもちろん、親子で遊びながら一緒にできるところも素敵だなぁ、というところだった。

演劇教育を用いた合科指導や総合学習には長い実践の歴史があるし、今もなお開拓されている沃野だ。今後も実践を交えつつ学んでいきたい。そして専門性はより一層わからない方向へ向かう。

論文の海に

飛び込んでいて、こちらがおろそかになってしまっていた。けれど、その分とてもよい結果が得られた。

これまで、造形遊びのプロセスをブリコラージュとして解明してきた。そのブリコラージュとは何かを、記号論的に明らかにできそうだ。しかも、造形遊び制度化の立役者である西野先生の論立てとも一貫する。

美育文化に掲載されていた西野先生の連載は、本当に凄いのである。造形遊びの作品を目的としない在り方について誤解も多いけれど、子どもたちの普段の在り方を踏まえればむしろ当然のこと。

子どもたちは何かを作れば、それを遊び道具として使い始めるし、使う中で作り替えたり組み替えたり作り直したり、つまり形の解体と再構成を伴いながら、遊びつづけるのである。

それは終わりのない変形の過程であり、学習の過程なのだ。

これまでは、こうした理論的アイデアは自分の経験か参観した授業のなかでのデータに裏づけを持っていたけれど、最近は自分の実践のなかでの観察にその根を持つようになってきている。

これらの理論や経験を、記号論的に再翻訳すること。これがいまの自分の少なからぬ野望のひとつである。