【報告】湘南白百合学園さまにて、「リベラルアーツ講座 教育学とはなんだろう」を講演いたしました

STEAM教育の教材開発で協働している株式会社トモノカイさまのご依頼で、湘南白百合学園中学・高等学校さまでのリベラルアーツ講座の一環として「教育学とはなんだろう」という題で講演いたしました。

後日談的に正直なところを言えば、リベラルアーツ講座の一環としてというお題と、「教育学」という学問についての導入的なお話をとご依頼いただいた折に、非常に悩んでしまいました。リベラルアーツにもさまざまな定義と実践がありますし、教育学も同様です。

素直にその旨をお伝えしたところ、桐田さんにとってのリベラルアーツと教育学で十分ですとお話しいただいて、少し肩が軽くなりつつ、では自分にとってそれらはどんな存在なんだろうと考えあぐね、一枚もスライドが書けない日々が始まりました。

最終的には、自分にはまだ教育学とは何か、教育とは何かがわかりません、だからこそ垣根をこえてさまざまなアート(the Arts)に触れ、学術に触れて研究しています、というある意味身も蓋もない開き直りによって、ようやくスライドを書くことができました。この講義を選択して参加くださった中高生の皆さんの感想と(ご許可をいただきました)、そのスライドの一部をご共有できればと思います。

  • 今回の講座のような内容は明確な道を指し示さずに終わることが多い印象でしたが、今回は違いました。権力を持った上の人にはどう現状を知って動いてもらうか、と質問すると明確な方法を3つも提示していただけました! 他にも本や学科を紹介してくださり、こういう本を読んだり学科を探してみると良いかもと自分の道が今までより開けた感じが確かにします。今までこんなに自分の将来に直結した講座に出会ってこなかったので、とても充実した時間となりました。(中3・大変満足)

  • 私達にも身近な教育を目まぐるしく変わる現代にどう対応させていけばいいか、教育とはどのようなものであるのが良いのか、それを考えるきっかけになりました。今の日本はたくさんの問題を抱えていますが、その中の一つの教育についての知識を得ることができて自分でも考えていこうと思いました。リベラルアーツは様々な分野に関連していてもっとリベラルアーツについて知りたいなと思いました。教育研究についての本も紹介してくださったので読んでみたいと思います。(中2・おおむね満足)

  • 教育学は教師、教授などの職業しか関わりがないと思っていたのですが今回この講座で話を聞いて教育学ってすごく広くて深いなと思いました。(中3・おおむね満足)

  • 「教育」というと、私たち子どもにとっては「与えられる」もののような感じがして、受け身の姿勢になってしまいがちだと思いますが、自分が教育者であるかどうかに関係なく、「まだ何か、私たちが見て見ぬ振りをしていることはないか」など考えて、他にも学ぶ価値のある今注目すべき教育の新しい分野が生まれる可能性を探して、求めて、それをみんなで共有していくべきだと思いました。教育者である大人が、一方的に子どもに「教育」というものを与えるのではなく、「子どもにとっての不安」や「子どもが、『これは解決すべきだ』と 思っていること」(たとえばグレタさんのような子どもの視点)にもっと注目して、耳を傾けるべきだと思いました。例えば、今回桐田さんが実際に読んでくださった本のように、リアルな貧困のエピソードを聞いて、みんなで向き合う道徳要素のある授業をもっと取り入れることで、「助けたい」と本気で思う優しい子がもっと出てくるのではないかと思います。 今、日本にも世界にも、あらゆる解決するべき課題がありますが、「私たちにできること」 の第一歩は、「知る」ことです。教育は、子どもたちに知ってもらう場を与えることでもっと大きく活躍できると思います。私は今は、将来国際関係の仕事に就きたいと思っていますが、ひょっとしたら教育に関わることになるかもしれません。教育に関する職に就くかどうかに関わらず、これからもいろんなことを、私自身も学んで、そしてさらにはみんなが、未来の大人になる子どもたちが「世界の問題に積極的に取り組もう」と思ってくれるようなという高い意識を持てるように引っ張っていけるようなそんな大人になりたいと思いました。 桐田先生、貴重なお話をしてくださり、ありがとうございました。講義の後も、私の話に丁寧に向き合ってくださりありがとうございました。とても充実した、自分の考えを深めてくれ る講座でした。またこのような機会があればぜひ参加させていただきたいです!(高2・大変満足)

指導教官からの受け売りですが、若い人たちと相対するときほど真摯に向き合わねば、すぐにその怠惰を見抜かれてしまい学習への無気力を招き、それは社会全体の無気力につながってしまうと肝に銘じて、ほぼ大人向けと言っていいスライドを用意し、『銀河鉄道の夜』などのおそらく身近な文学作品の例を用いて端的に説明しつつ、

ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』、上間陽子先生の『海をあげる』を一部朗読しながら、自分の考える教育学研究のリベラルアーツ上の人文学的な大切さ、「本文に書かれていないこと」(=余白/周縁margin)を見つめることでこれまでなんとなく慣習的に決められていた本文の書かれ方から解放された「別のあり方」(alternatives)を想像していく姿勢について一緒に考える時間を持ちたいと思って臨みました。

本当に、鋭く、自分自身の揺るがせにできない関心事と将来に響く問いを持っているひととの関わりは、年齢を問わず自分をワクワクさせるものなのですが、ここ数年の中高生の方とのお話のなかではここまで広く問題関心を共有できたことはありませんでした。

教育学に関心を持ってくださっていたり、知見を広げてみたいと思って教育学の講座をとってくださった湘南白百合のみなさん、そして株式会社トモノカイの関係者の皆様、湘南白百合学園の関係者の皆様に、改めて御礼申し上げます。

追伸:最後にもしこの文章をみなさんが読んでくださっていたらということも踏まえて、講座ではお伝えできなかった、上間先生のスピーチと、今回のお話の背景にあったリベラルアーツについてのシカゴ大のマーサ・C・ヌスバウムの議論を引用して、終わりたいと思います。

シスジェンダーであれトランスジェンダーであれ、女性がその言葉と心をそのままに学術的なことや社会的なこと、政治的なことを主張することに、日本はまだ大きな「壁」を作っています。その壁を打ち砕いてその先に進むためには、わたしを含めたシス男性が「見ないふりをしていること」を見つめる機会を作り「知る」ことから始めていかなければなりません。

リベラルアーツはそのためにも重要な役割をたくさん担っています。ぜひ一緒に、たくさんのアートに触れて、たくさんの学術に触れて、現実の多元性を見つめるトレーニングをしていきましょう。最後までお読みくださり、ありがとうございました。

市民は、事実の知識や論理だけでは、自分を取り巻く複雑な世界とうまく関わることができません。最初の2つと密接に関連する市民の第三の能力は、物語的想像力と呼ぶことができるものです。これは、自分とは異なる人の立場に立ったとき、その人がどのように感じるかを考え、その人の物語の知的な読者となり、そのように置かれた人が持つであろう感情や願い、欲求を理解できる能力を意味します。西洋でも非西洋でも、民主主義教育の最良の近代的な考え方の中で、共感を培うことが重要な位置を占めてきました。この育成の多くは家庭で行われなければなりませんが、学校、さらには大学もまた重要な役割を担っています。もし、その役割を十分に果たそうとするならば、カリキュラムの中で人文科学と芸術に中心的な役割を与え、他人の目を通して世界を見る能力を活性化し、洗練させるような参加型の教育を育成しなければなりません。

Nussbaum, Martha C., Not for Profit. Princeton University Press. Kindle version. p.96

ヨーロッパやアジアの大学が抱えているもう一つの問題は、優れた民主的市民にとって特に重要な新しい学問分野が、学部教育の仕組みの中で確実な位置を占めていないことです。女性学、人種・民族研究、ユダヤ学、イスラム学など、これらはすべて、その分野についてすでによく知っていて、その分野に集中したい学生だけを対象にして、周縁化される(marginal)可能性があります。対照的に、リベラルアーツ・システムでは、このような新しい学問分野は、すべての学部生が履修を義務付けられている科目となり、文学や歴史など、他の学問分野のリベラルアーツ必修科目も充実させることができるのです。そのような必修科目がない場合、新しい学問は疎外されたままです。

Nussbaum, Martha C., Not for Profit. Princeton University Press. Kindle version. pp.126-127.

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