教育の独立性

麻布中入試の「難民問題」が反響、大人も舌を巻くほど「すごい」「入管職員も受けてみて」|弁護士ドットコムニュース | https://www.bengo4.com/c_16/n_14078/

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これぞ社会科教師!と呼びたくなるようなテスト。こんなこと小学生に問うのは酷だと言われるかもしれないが、むしろ六年生こそ教科として歴史や公民に触れて日々のニュースなどから告げられる社会の有り様もより広く見えてくるようになり、教科書の中に書いてある理念とのズレから玉石混交のネット記事を読み問題意識も持つ頃だから、適切かつドンピシャだと思う。

自分の参観した長野の公立小での授業を振り返っても、日米の沖縄戦を1日ずつ辿っていきながら日本軍、米軍、沖縄の人々の三つの視点から資料を読み込み熱心に議論する社会科の授業を、子どもたちが率先して創り出していた事例もある。一人だとむずかしいことも、友達とともに臨めば存分にやれる可能性は多いに生まれてくるのが学校の面白いところ。

さて、テストからはコンテンツ暗記の精度を問う銀行型の教育から、いち生活者、当事者として課題を特定し解決するために知識を活用し自分の声を社会にあげられる教育へとシフトしていくぞという製作者の気概のようなものを感じた。受験産業のなかに押し込められてしまっている学校であればこそ、そうした教育をしなくては、この学校を経て向かう先に見据えられている官僚コース、政治家コースのことを思うと、国も地域も人も壊れていくという危機感すら感じる。

教育は、変動する社会の後追いをするのではないし、エリート主義的な立身出世のためだけにある選別装置でもない。学校側もそんな装置にされるのは不本意だろう。変動する社会に絡め取られず、それを見据えて変えていくことのできる人間性をあらゆる子どもたちに公正に、粘り強く育てる。カントの言うような教育の独立性がそこにある。

自分の周りでも、過渡的なものとは考えたいが、エリート主義へのバックラッシュが起き始めている。近代そのものが持つ官僚主義、メリトクラシーゆえにそれは無理からぬことと感じつつも、これを安易に非難することなく、ともに乗り越えていく視点、社会的実践を創りたい。

いくつかの可能性があるが、一つは選別装置としての高等教育とは別に、一人一人が民衆として学び合える場を作ることの重要さを看破したグルントヴィ、もう一つは銀行型教育を批判したフレイレ、そして自分の専門の一つであるマキシン・グリーン。彼らと彼女の視点の先にあるものを一言で言えば「周縁化」だと思う。不当に周縁化されることのない社会を作り出すための土壌を、教育は練り上げることができるのであり、事実そうしてきたという自負を持つことが必要だと思う。

このことに関連して、Artsyで取り上げられていた、アメリカのマディソン・スクエアで公開されているヒュー・ヘイデンの新作についての記事(Hugh Hayden’s Striking New Sculptures Take on the Inequities of Public Education)が示唆的かもしれない。以下に抄訳する。

「世界各地において、教育と公平性と経済は切っても切れない関係にあり、また、教育は不公平や不公正に対する最大の武器であると広く信じられている。先日、ニューヨークのマディソン・スクエア・パークで発表された彫刻家のヒュー・ヘイデンの新作「Brier Patch」は、世代を超えて続く貧困に対する第一の解毒剤である質の高い公教育を受けることができるのは誰か、そしてさらに重要なことには、それを受けられていないのは誰なのかと問いかけている。

木を主な素材とする38歳のヘイデンは、公園内の4つの芝生のうえに「教室」を作るために、学校の机を100個製作した。机は1970年代に戻ったかのようなデザインで、褐色で生々しく、保護用のマルーン色の樹皮が剥がされているが、これらのログウッドはニュージャージー州のパインバレンズで伐採されたもの。机から出ているのは、葉のない、ひょろひょろとした木の枝。そのあまりにも不毛な姿のため、二度と花を咲かせることのない永遠の冬の状態にあるのではないかと思われてならない。近くで見ると、木の枝と机の見事な融合に魅了されてしまうが、これはヘイデンの熟練した彫刻家であることの証明と言える。彼は、過去と現在、有機物と無生物の間に談話を作り出しているのだ。

(…)ヘイデンの視点では、枝はアメリカの公教育の特徴となっている官僚主義的な迷宮を示し、雑木林はアメリカンドリームを阻む障害を象徴している。かつてはどこにでもあった、より良い生活を約束するものが、実現するのが著しく困難になっている。

ヘイデンのスタンスは正しいが、彼自身の教育へのアクセスや学問的な経験は、この最新作で取り上げられているものとは対照的である。ダラス出身で教育者の息子であるヘイデンは、英才教育やイエズス会系の私立高校に通い、アイビーリーグのコーネル大学とコロンビア大学の卒業生でもある。この差別化が、アメリカの教育における格差がいかに深いかを、特に個人的な方法で鋭く浮き彫りにしたのかもしれない。」

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