【哲学夜話】#1 寝物語、あるいは夜話を聴くということ

 寝物語、という言葉がある。英語ではベッドタイムストーリーと言われるが、なぜか子どもたちは寝る前に自分のことを見守ってくれる誰かが話してくれる自分のための物語を所望するものであるらしい。寝てしまえば「夢」という壮大かつ不条理な、しかしとても人間らしい物語が展開されることを見越して、空想の羽を広げる準備段階としての寝物語を求めているのかもしれない。

 ある人々にとっては、子どもだからといって空想の羽を広げさせることで文字通り地に足がつかなくなり、現実をきちんと見据えないような態度を養ってしまうのではと思われるかもしれない。けれどおそらくは、空想の羽を存分に伸ばしていくことのできる余白を作っておくことは、険しい現実のなかを生き抜いていくためにこそ「人間」にとって必要不可欠なことなのではないだろうか。

 空想と物語、特に寝物語との関係性を思い起こすとき、『ブレッドウィナー』(The BreadWinner)というアニメーション映画を見たときのことが思い出される。アイルランドのアニメーションスタジオ「カートゥーン・サルーン」による長編アニメーション作品で、9.11以降避難民となったアフガニスタンの子どもたちへのインタビューを通じて紡がれた同名の児童文学を原作としているのだが、スクリーン上に展開されていく苦境の最中を生きる子どもたちの洞察と想像力の凄まじさに心を打たれた。

 作中冒頭、主人公の少女は弟に寝物語をせがまれる。その寝物語は当初、主人公の少女自身もいやいや弟の面倒を見るという文脈で紡がれていくのだが、しかし次第に彼女の生きる現実がより一層複雑に、また苦難の様相を呈していくにあたって、生き抜くために磨かれていった(いかざるを得なかった)洞察力によって、現実を動かす裏側の意図が透徹した眼差しで暗に語り出されていく。加えて、少女が次第に経験していくさまざまな立場にいる人間との関わりを通じ一層深められていく想像によって、彼女の生だけでなくその家族の生をも支え奮い立たせるための物語へとその在り方は変化していく。

 この物語から私が感じ取ったことは、しばしばどちらか一つだけを成長させようとしてしまうが、推論的で合理的な洞察と情緒的で幻想的な想像を共に働かせることによって、所与の現実の奥にある“見えないものを見えるようにする”ことができるということ、またこの二つの力こそ人間がどんな境遇でも人間として生き抜く道なき道を思い描くための、おそらくは私たちに生まれ持って具えられている両翼なのではないかということだった。

  *

 密かに私は、哲学という分野ほどこの両翼を駆使し続けてきた分野はないかもしれないと思っている。例えば論理や概念を用いた合理的な洞察を展開している古今の哲学者たちの著作には、「想像的なシナリオを通じて現実を吟味していく」(imagined scenarios to investigate reality)方法である、「思考実験」(thought experiments)を梃子にして独自の哲学へと鍛え上げているものが少なくない*1。

 また興味深いことには、こうした思考実験の多くが「語りの形式」(narrative form)で提示されているということだ。ここで詳細を告げることは難しいが、プラトンの「洞窟の比喩」、デカルトの「欺く悪霊」、パスカルの「賭け」、ライプニッツの「風車小屋」、カルナップの「双子の地球」など、そこには概念や命題としては掬い上げられないままでいるさまざまな感覚が語りを通じて提示されていく。

 物語や神話の類と哲学は異なるものだ、と考える方もいるだろう。しかし哲学の歴史を遡れば、古代メソポタミア、古代中国、古代エジプト、古代ギリシアなどにおいて、物語や神話を通じて古来より人間は哲学的な問題を構想し、それらに暫定的な回答を与えてきたということ*2、またこうした物語によって培われた感性や知性を通じてさまざまな哲学的な概念を生み出していったことはおそらく疑いようがない。

 宇宙の始まり、人間性の由来、世界の成り立ち、物事の善悪……。こうしたトピックについて考えてみたいけれど、概念化された哲学に触れることへのハードルを感じている人に向けて、こうして物語や散文を通じて哲学を届けてみようという試みは、歴史的に考えれば原点回帰とも言えるのかもしれない。

 いわばこの連作は大人たちの普段折り畳まれている両翼を存分に広げるための、哲学的寝物語の試みである。ただ、大人になって寝物語をというのはやはりどこか気恥ずかしい。そこで適切な言葉はないかと探ってみれば、「夜話」という穏やかな言葉があることに気づいた。

 忙しない世間の現実から一歩外に出ることも叶わない状況下でも、私たちはその背中に備え付けられている両翼を活かして空想の世界に遊ぶことはできる。その物語のなかで現実が当たり前のものとして押し付けてくるものを一旦相対化して、現実に巻き込まれ過ぎずに自分の掛け替えない人生の行く末を見据えていく視点を得ていくことも興ないことではないだろう。そんな余白を共に味わう日々を、あのアフガニスタンの少女たちのように、自分の手元から一つずつ紡ぎ上げてみたいのである。

*1 Brown, James Robert and Yiftach Fehige, “Thought Experiments”, The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Winter 2019 Edition), Edward N. Zalta (ed.), URL = <https://plato.stanford.edu/archives/win2019/entries/thought-experiment/&gt;.

*2 以下の文献、記事、podcastを参照。

廣川洋一(1997/2012)『ソクラテス以前の哲学者』講談社。

Perkins, Franklin, “Metaphysics in Chinese Philosophy”, The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Summer 2019 Edition), Edward N. Zalta (ed.), URL = <https://plato.stanford.edu/archives/sum2019/entries/chinese-metaphysics/&gt;.

History of Philosophy without any gap URL=https://historyofphilosophy.net/

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