飛び込んでいて、こちらがおろそかになってしまっていた。けれど、その分とてもよい結果が得られた。
これまで、造形遊びのプロセスをブリコラージュとして解明してきた。そのブリコラージュとは何かを、記号論的に明らかにできそうだ。しかも、造形遊び制度化の立役者である西野先生の論立てとも一貫する。
美育文化に掲載されていた西野先生の連載は、本当に凄いのである。造形遊びの作品を目的としない在り方について誤解も多いけれど、子どもたちの普段の在り方を踏まえればむしろ当然のこと。
子どもたちは何かを作れば、それを遊び道具として使い始めるし、使う中で作り替えたり組み替えたり作り直したり、つまり形の解体と再構成を伴いながら、遊びつづけるのである。
それは終わりのない変形の過程であり、学習の過程なのだ。
これまでは、こうした理論的アイデアは自分の経験か参観した授業のなかでのデータに裏づけを持っていたけれど、最近は自分の実践のなかでの観察にその根を持つようになってきている。
これらの理論や経験を、記号論的に再翻訳すること。これがいまの自分の少なからぬ野望のひとつである。