遊具の究極目的

いろんなひとの助けを得て、試行錯誤のなか、哲学カードゲームの6回目の試作品ができた。だんだん、当初のカードゲームを作ろうとおもった目的を充たしうる形になってきていて、安心している。

ただふと…、この教材としてのカードゲーム、道具としての遊具は何のためにあるのだろうと考えてみると、究極的にはそれが無くなること。つまり、それが果たしていた機能をこどもたちに内面化してもらうことなのか、と考えた。

要は、お別れを前提にした製作。心に残りつづけることを狙うというより、忘れられていても血肉になってくれていたらという願いが大事なのかな、と。

そう考えると、なぜかドラえもんのことを思い出してしまった。たぶん自分のなかでは、普段は忘れられていても(失礼)、確実に自分の過去のなかにいる人格として、彼は存在しているのかもしれない。

よし、まずはドラえもんを目指そう。…と目標を設定したはいいものの、あまりに高い壁すぎやしないだろうか。そんなことを思っていた、秋晴れのなかの通勤路。

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